2017/06/24 新入生勉強会 西・中部アフリカ歴史班!

メディアコントロールに利用されたラジオ番組

 

アフリカの多くの国が列強による植民地化、そしてそこからの脱却といった歴史を共通にしている。歴史は、現代のアフリカ社会を理解する上で欠かせない視点であり、これからのアフリカを考えていくに当たっても問題解決への指針を与えてくれる。

 

・ルワンダ

ルワンダといえば、内戦を通じて起こったジェノサイドを連想する人も多いのではないだろうか。内戦は植民地時代の支配と強く結びついている。

内戦の主な対立であったトゥチとフトゥは原来同一民族であり対立はなかったのだが、植民地支配のため国内分断を目論んだ宗主国の策略が故に身分の固定化が進み軋轢が生じていくことになった。

 下の写真のように、ルワンダ内戦ではメディアコントロールにより実際に国民の手で虐殺が行われたという事実がある。約100万人という犠牲者を出した内戦の裏には国民の憎悪を掻き立てたラジオ番組の存在があったのだ。

 しかし、ルワンダは内戦を乗り越えた国であるからこそ国民は強く平和を求めており、そのために現在、加害者と被害者の和解が進められている。

メディアコントロールに利用されたラジオ番組

メディアコントロールに利用されたラジオ番組

 

参考文献

武内進一(2009) 『現代アフリカの紛争と国家』 明石書店

伊東乾(2009)『ルワンダ・ワンダフル!』 解放出版社

 

・ナイジェリアの歴史

ナイジェリアは日本と大きく違い、複数の民族の集合体で出来上がっており、北のハウサ人、西のヨルバ人、東のイボ人が主要三部族とされている。これら三部族の均衡がナイジェリア情勢を決めているといっても過言ではない。

植民地時代のイギリスによる統治の基本原則は、出来るだけ伝統的権威と政治組織を温存させ、地方行政府として利用するという「間接統治」であった。この「間接統治」はイスラム社会で絶対的権威を有していた北部では成功したものの、東部のイボ人社会では失敗。また、イギリスがナイジェリア南北の分離発展を模索したこともあり、伝統権威を存続させた北部と近代化しつつあった南部との溝は深まった。独立後も、クーデターを起こしたイボ人を快く思わなかった人々が、今度はイボ人を大量殺害するなど部族間の争いは続き、その流れでビアフラ戦争が勃発。この戦争の犠牲者は200万人にのぼると言われている。今でも部族間の対立はなくなってはおらず、治安は悪いままである。

 

ビアフラ戦争で飢餓に苦しむ子供

ビアフラ戦争で飢餓に苦しむ子供

参考文献

室井義雄(2003)『ビアフラ戦争』山川出版社

 

・コートジボワールの土地政策史

コートジボワールは70年にわたりフランスの植民地下に置かれてきた。その過程の中で、コーヒーやココアなどの農産物の生産が発展していくが、政治的対立の中でどのような政策がとられ、この時代における農業と関わっていったのか。独立後、フランス政府の土地収奪が終わると政権ごとに紆余曲折を経ながら移民への土地移転システムにたどり着く。労働力増加の結果として農業生産が発展し、コートジボワールの経済成長を大きく牽引した。その一方で、移民の増加は従来のコミュニティの変化と緊張の火種となった。コートジボワールの土地政策は、いかにして農業を活発にするか、その過程での社会的軋轢をどのように政治的に調停するかに焦点が当たっていたといえる。尚、今日においても土地をめぐる地元民と入植者の対立は続いており、このように歴史を振り返ることで問題の平和的解決のヒントが見つかることを願う。

コートジボワールでのカカオ生産

コートジボワールでのカカオ生産

 

参考文献:アフリカ土地政策史 武内進一:編 第5章 佐藤 章

 

・マリの歴史~交易を中心に~

ヨーロッパ勢力が進出したのち、アフリカは暗黒大陸と揶揄されるなどヨーロッパ社会から蔑視された。しかし、それ以前には黄金郷ともいわれる極めて反映した地域がアフリカに確かに存在した。それが現在の西アフリカのサハラ砂漠南部に位置するマリ地方であった。

マリはニジェール川という大河の中流域に存在し、肥沃な大地を有することから、古代エジプトより古い時代から人々による開発が行われた。やがて交易が始まるが、マリはサハラを縦断する塩金貿易とニジェール川交易の結節点として大いににぎわいを見せた。かつての西アフリカは旧大陸内最大の金産地であり、その金は塩金貿易を通じて世界中に流通し世界経済を回したほどだ。この繁栄でガーナ・マリ・ソンガイなどの王朝が栄え、特にマリ帝国のマンサ=ムーサ王は世界史上最大の金持ちともいわれる。

やがてサハラ交易は衰え、マリ地方の経済も衰微するが、現在までマリ国内で続く紛争の間接的な原因が交易問題であるなど、交易の重要性は現代でも続いている。

ソンガイ帝国最盛期の王アスキア=ムハンマドの墓(世界遺産)

ソンガイ帝国最盛期の王アスキア=ムハンマドの墓(世界遺産)

・勉強会を通しての感想

全体的にみな綿密に計画を立て、細かい点に及ぶまで情報収集をしていたのには驚嘆した。一つ思ったのは、私も含めてテーマを完全に絞り切れておらず、歴史書の概説のようになってしまったのが残念だったということだ。以後は自分の中心テーマや疑問を提示し、それを中心に発表内容を組み立てていくのが良いのではないかと思った。

 

参考文献

坂井信三『イスラームと商業の歴史人類学』世界思想社、2003

竹沢尚一郎『西アフリカの王国を掘る』フィールドワーク選書、2014

内藤陽介『マリ近現代史』彩流社、2013

中村弘光『アフリカ現代史西アフリカ』山川出版社、1982

バジル・デビッドソン著、貫名美隆・宮本正興訳『アフリカ文明史 西アフリカの歴史』理論社、1978

Leave a comment

Your email address will not be published.

*