アフリカンコラム 「『アフリカを見る アフリカから見る』」

「アフリカを見る アフリカから見る」(ちくま新書)という本を紹介してみようと思う著者の白戸圭一先生は立命館大学でアフリカ研究をされている方で、「それ、いつの時代のアフリカ観?」という帯のキャッチコピーが目を引く本書は白戸先生が新聞に寄稿したコラムなどをまとめたものだ。日本人の間にいまだ根強「飢餓」「貧困」あるいは「未開」といったアフリカのイメージからは距離を置いて、アフリカ諸国の発展や国際政治経済の舞台としてのアフリカに注目し(=「アフリカを見る」)、対アフリカ関係の中で見えてくる日本の現状や問題点についても論じる(=「アフリカから見る」)内容となっている。 

 

このように説明してみると、私が紹介したい第2章「アフリカはどこへ行くのか」の内容は本書の筋書きからは少し浮いているような気もしてくる。もっぱら近年のアフリカの問題や惨禍について紙幅が費やされているからだ。しかしそのことは置いておいて、もっとも私の印象に残った一節をここで共有させていただきたい 

 

第2章2節のタイトルは「『愛国』と『排外』の果てに」。 

コートジボワール(Côte d’Ivoire)という国をご存じだろうか。私にとっては長い間、父親が昔持っていたガラケーのサッカーゲームに出てくる国というイメージだった。実際サッカーではアフリカの強豪国の一つのようだ。アフリカの中では早1960年代から高度成長期に入った国であり、事実上の首都で高層ビルも多いアビジャンは「西アフリカのニューヨーク」と呼ばれることもあるらしい。近年の経済成長も好調のようだ。 

そんなコートジボワールだが、2002から11年にかけて内戦で南北が分断されていた。本書によれば、その内戦というのは単なる指導者間の政争ではなく、「『愛国』と『排外』の果て」だった。 

通貨政策の失敗や主要輸出品であるカカオの価格下落に伴い、80年代以降経済情勢が悪化したコートジボワール。この社会の閉塞感の中で台頭したのは愛国的な排外主義だった。国民は「純粋なコートジボワール人」くらいの意味であろうイボワリアン(Ivoirien)と、移民をルーツとする非イボワリアンに分けられた。 

何をもってイボワリアンと判断されたのかというと、その定義は曖昧だったと本書は言う。そもそもイボワリアンという民族は存在せず、コートジボワールはフランスが設定した国境に基づいて多民族国家として出発した。当時独立から30年程度しか経過していなかったため「生まれながらのコートジボワール国籍保持者」という定義にも無理があるよって定義は「昔からコートジボワールの地に住んでいた人の子孫」くらいにしかならなかった。 

しかしこの考え方は受け入れられた。イボワリアンの「純血路線」を採るベディエ大統領は南部の住民の支持を集め、移民の多い北部の住民への迫害や差別が始まった事態収拾を図った軍によるクーデタは失敗し、続くバボ大統領は排外主義を強化。ついに2002年9月、北部での兵士750人が蜂起すると反乱は北部全域に拡大し、まさしく南北を分断する内戦に突入した。 

 

ナショナリズムの呪縛は強烈だと心底思う。アフリカに特徴的な、民族も文化も関係なしに引かれた国境でさえものの数十年でこんなにも強固な「自分たち」「自分たち以外」の意識を創り上げてしまう。してその国境は「自分たち」の意識に熱狂した人々によって、その国境の生まれる以前にまで適用されわけだ。何が私たちを、「国家」という概念にここまで強く引き付けるのだろうか。コートジボワールこの生涯何かしらの国家と共に在り続けるであろう私たちにとって根本的な問いを投げかけている気がする 

 

(補足)厳密には2002年9月の蜂起自体は兵士の待遇改善を求めたものだったが、その後反乱軍の指導者となったギヨーム・ソロが迫害問題を反乱の争点に据えたようだ。 

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